すでにテレビなどでも伝えていますが、新元号「令和」は、「万葉集」巻5の815番~いわゆる「梅花宴の歌」の序文を出典とします。天平2年(730)正月13日、大宰府の長官大伴旅人の家におおぜいで集まって梅見の宴が開かれたときのもの。当時の序文は正式の漢文で書かれました。
梅の花はもともと日本にはなく大陸から輸入されました。つまり古代日本の外交の窓口であった大宰府にいちはやく持ちこまれたもので、いかにも大宰府(太宰府)にふさわしい花だったわけです。
市役所の玄関前に建てられた山上憶良「春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつやはる日暮さむ」は梅花宴でよまれた歌。他にも太宰府市内のあちこちにこの時の歌の碑が建っています。
政庁跡の大宰府展示館には宴の様子を描いた博多人形があります。次のサイトから見られます。
古都大宰府保存協会(大宰府展示館)